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商業界とは

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商業界の基本理念

10の教えが生まれた理由

荒れ果てた時代に生まれた希望の光
太平洋戦争後の日本は、貧困に苦しむ人々の横で「金さえ儲かれば何をしてもよい」という商人があふれ、荒廃した世の中でした。
そんな時、「店は客のためにある」という理念を掲げ、雑誌「商売界」を創刊、「お客のための正しい商いに転換しよう」と立ち上がったのが 倉本長治という人物でした。

ゼミナールから生まれた10の教え
人と人との直接的な触れ合いが、正しい商いへの理解を深める早道だと考えた倉本は1951年に「商業界ゼミナール」を立ち上げ、専門講師による講義の場、参加者同士の体験や悩みを共有できる場をつくりました。
すると、その考えと教えは大きな共感を呼び、全国各地から多くの商人が集う“学びの場”へと発展していいきました。
幸せな商人になるための10の教え「商売十訓」は、こうしたお客さまのための店を志す商人たちの行動指針として生まれました。

色も色褪せない商いの心理
これまでに数多くの商人が商業界ゼミナールに集い学び、語らい、幸せな商人へと生まれ変わっていきました。
さらに、それぞれの地元や業種でも学ぼうと「商業界ゼミナール同好会」が全国各地に発足、10の教えを日々実践しています。
各地で開催される「商業界地方ゼミナール」もそうした実践の一つです。商業界ゼミナールには現在も、正しい商いの実践を目指す多くの商人が集います。

商業界の基本理念

商売十訓

店は客のためにあり、店員と共に栄える
これは、商業界の初代主幹である、故・倉本長治が提唱した基本理念です。 正しい商人のあり方を示すこの理念に基づいた十の教えが『商売十訓』です。 『商売十訓』は、毎月2月に開催される商業界ゼミナールなどの集会のはじめに必ず読み上げられる、商業の原点を表した普遍的な文言となっています。倉本長治の提唱する商人道を暗誦しやすいように短文にしたもので、1966年の第33回商業界ゼミナールで発表されました。

 一、損得より先に善悪を考えよう
 二、創意を尊びつつ良い事は真似ろ
 三、お客に有利な商いを毎日続けよ
 四、愛と真実で適正利潤を確保せよ
 五、欠損は社会の為にも不善と悟れ
 六、お互いに知恵と力を合わせて働け
 七、店の発展を社会の幸福と信ぜよ
 八、校正で公平は社会的活動を行え
 九、文化のために経営を合理化せよ
 十、正しく生きる商人に誇りを持て

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商業界を作った人々

倉本長治(くらもと ちょうじ)

倉本長治

1899(明治32)~1982(昭和57) 商業界初代主幹
>戦前戦後を通じて商業指導に尽力し、「店は客のためにある」という商人哲学を遺した。商業者は消費者に代わって商品を選び、仕入、販売するのだから、その対価として適正利潤を得るのは当然とし、また、商業者は消費者に対し公平公正であらねばならず、それが商業を成長させ、消費者の生活向上、社会の発展につながると主張した。これが江戸時代以来「士農工商」と卑しめられてきた商人たちに自信と勇気を与え、商業近代化の精神的原動力となった。
また、科学的な経営技術の導入を提唱し、スーパーマーケットやチェーンストアを日本に紹介し、従業員をパートナーと考える(店員と共に栄える)経営のあり方、正しい経営理念こそ成長発展の要諦(店主と共に滅びる)であることを説いた。その薫陶を受けた商業者の中から、今日の大チェーン、大手専門店経営者が輩出しており、日本の商業に巨大な足跡を残した。
1964年藍綬褒章、1970年勲五等双光旭日章受章。


倉本初夫(くらもと はつお)

倉本初夫

1923(大正12)~2013(平成25)年 商業界二代目主幹
倉本長治の長男として東京に生まれる。東京大学文学部を卒業したのち、出版社勤務を経て、27歳で商業界に入社、月刊「商業界」を担当する。雑誌編集のかたわら、著書の執筆、海外のチェーンストアに関する専門書の翻訳も多数手掛けた。
1963年に月刊『販売革新』を創刊し、1972年には代表取締役に就任。その後も、『食品商業』『ファッション販売』など現在まで続く日本の小売業を代表する雑誌を次々に創刊し、出版事業を通じて高度経済成長期の日本商業の発展を支援した。
1988年には代表取締役主幹に就任。毎年、全国各地を講演して回り、生涯を通して「真商人道」を説き続けた。
「農商一如」を提唱し、農業と商業の連帯運動に力を注ぎ、(一財)食料農商交流協会理事長も務めた。

新保民八(しんぽ たみはち)

新保民八

1901(明治34)~1958(昭和33) 年商業界主筆、のち副社長
正しきに依りて滅びる店あらば滅びてもよし。断じて滅びず。
倉本長治の盟友の一人。花王石鹸(当時)の常務取締役を務める傍ら、商業界の設立に参画した。青年期に神学校に学ぶなどキリスト教の影響を強く受け、消費者に対する愛情、公平・平等を旨とする正しい商い、商業を一生の仕事とし、全身全霊を打ち込む勤勉さを持つことなどを説いた。
講演中に激して聴衆に椅子を振り上げたとの逸話もあるほど、その熱く激しい講演は全国の商業者の熱狂的な指示を得て、戦後の商業近代化運動の精神的な牽引車となった。「正しきによりて滅びる店あらば滅びてもよし 断じて滅びず」は、幕末の国学者・平田篤胤の歌を本歌取りした新保の言葉で、今も多くの商業者に愛唱されている。

岡田 徹(おかだ とおる)

岡田 徹

1904(明治37)~1957(昭和32)年 商業界社友
戦前から戦後にかけて活躍した商業経営指導家。昭和28年、商業界ゼミナールに講師として初参加。商人の哀歓と経営近代化に乗り出す決意や情熱、悩みを生々しくとらえて、圧倒的な支持を得た。商業界ゼミナールでは「怒りの新保、泣きの岡田」と並び、称された。岡田徹の著作を基に倉本長治が編んだ「岡田徹詩集」は、商業界最大のロングセラーである。商業界会館1階エレベーター前の壁に彫られた「小さな店であることを恥じることはないよ その小さなお店を人の心の美しさで満たそうよ」は岡田の代表作。

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